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【鬼滅の刃】童磨どうまラスト結末ネタバレ!最後は死亡する最終回で過去は?

アニメ

亡くなる間際の回想や鬼になった側のきっかけも興味深い・鬼滅の刃

特に過去にどのような人生を送ってきて鬼になる事になったのかは重要事項の1つですよね!

 

そんな中、童磨(どうま)の最終回やその後に関しても気になってきませんか??

今回の記事では、鬼滅の刃の童磨(どうま)のラスト結末の最後までをネタバレ考察でお伝えしていきます^^

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【鬼滅の刃】童磨(どうま)ラスト結末ネタバレ考察!過去の真相と無惨との出会い

 

童磨(どうま)は戦いの末に一体どんな結末を迎える事となるのか…?

最終回までの展開を詳しくチェックしていきましょう!

 

上弦の弐の鬼・童磨の衝撃の過去

童磨(どうま)は上弦の弐の鬼というポジション。

両親が万世極楽教という宗教を営んでおり、苦しむ人々を救うという家庭に生まれた童磨。

 

しかしながら、父親である教祖は信者の女性幾人にも手を出し権力に狂って逢瀬を繰り返していたため、あまりまともな人間像を見て育たなかったと思われます。

 

童磨(どうま)自身は、その万世極楽教で神の声が聞こえる「神の子」という役割を与えられ、表向きは、苦しむ人々を救い幸せに導く象徴として育ちます。

 

しかし、父親の件もありましたし、生まれながらに何らかの感覚が欠落していたのかもしれません。

生活や恋愛、様々な憎悪や欲望に苦しむ人々を「愚か」であると感じていました。

 

結果として、人間の心に寄り添ったふりをして、心の中では蔑んでいたのでしょう。

あるとき、信者の女性に手を出していた父に激昂した母親が父の命を奪い、その後、母親自らも命を絶ってしまうという事態に見舞われます。

 

しかし、感情の欠落が著しい童磨(どうま)は、父や母の死を悲しんだり、悔やむことは一切なく、後片付けのことや血の匂いで気持ちが悪い、というような表面的なことにしが気が向かなかったと自らが語っていました。

 

童磨と鬼舞辻無惨との出会いと関係性

 

二十歳の時に鬼舞辻無惨に出会い鬼となりますが、童磨(どうま)は鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)に心酔し、崇拝していました。

 

自らを唯一無二の完全な存在として、自らの利益や欲求のためなら、ためらいなく人間も何もかも破壊してしまう鬼舞辻無惨の姿が崇高に見えたのでしょうか…。

 

しかしながら、崇拝する無惨からはあまりよく思われてはいませんでした。

他の上弦の鬼からも、会話や思考がかみ合わないせいか嫌われていましたが、そういったことを正確に捉えることができない精神構造だったのでしょう。

 

さらに鬼として大成するには、何らかの強い欲求や歪んだ渇望がなければならないようですが、感情が欠落した童磨(どうま)には、そういった鬱積したものや鬱屈した負の感情がなかったため、思考や行動がかみ合わなかったのだと思われます。

 

童磨の残酷な恋愛ごっこ

鬼になった後の童磨(どうま)は、万世極楽教の教祖を無惨として、宗教活動を続けていました。

表向きは救世(ぐぜ)を謳っていましたが、本質的には負の感情に苦しむ人間が愚かで哀れで興味があったのでしょう。

 

観察をして楽しむようなことをしていたようです。

その活動の中で、気に入った若い信者女性などを自らの側において気まぐれに恋愛ごっこをしてみたりしたこともありました。

 

が、結局は「子供を宿すことのできる女性は栄養がある。食べると美味しいし強くなる」という考えから、最終的には始末して食い漁っていたのでした。

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【鬼滅の刃】童磨(どうま)ラスト結末ネタバレで過去は?最後は死亡する生き残る?

嘴平伊之助との関係と童磨の死亡

童磨(どうま)の気まぐれに恋愛ごっこによって命を落とした女性の中には、子どもを虐待されて逃げ込んできたという嘴平伊之助(はしびらいのすけ)の母親もいました。

 

生まれてまもない伊之助を抱いて逃げてきた琴葉は、童磨のもとに一時身を寄せましたが、童磨(どうま)が信者の女性を最終的に始末していることに気がつき激怒。

 

最終的には童磨に始末されてしまいます。

また、あるとき鬼狩りとして対峙した胡蝶カナエを始末したことで、妹である胡蝶しのぶに敵として狙われることになります。

 

こういった人間関係が最終局面で一気に童磨に降り注ぎ、自らの身体を鬼が嫌がる毒で染めた胡蝶しのぶを始末して喰らいます。

 

そして鬼の身体が崩壊したところを、記憶のなかった母親のことを童磨(どうま)に暴露され怒り心頭の伊之助と、カナエとしのぶの腹違いの妹として蝶屋敷に引き取られた鬼殺隊の胡蝶カナヲによって始末されて死亡してしまうのでした。

 

童磨の最後と胡蝶しのぶへの恋

 

感情が欠落しているが故に、常に穏やかな口調で物腰柔らかく語る(ことしかできない)童磨(どうま)。

一見優しい人間のように見えますが、その実、感情の欠落により一種の狂気やサイコパスのような精神構造であったと思われます。

 

結果として人間としても鬼としても光の当たらない不幸な一生だったのではないでしょうか。

胡蝶しのぶの毒により、肉体も精神も崩壊していくなかで、それを何らかの高揚=恋ではないかと感じた童磨(どうま)。

 

死の淵で胡蝶しのぶに「かわいいね、一緒に地獄に行かないか」とその想いを伝えますが、しのぶには、穏やかな口調で辛辣と共に地獄に叩き落されたような形となりました。

 

童磨に人間の回想は無し

誰からも受け入れられることなく、誰も受け止めることも出来ずに哀れに死んでいった童磨(どうま)。

彼は鬼になって以降たった100年程度で上限の鬼になり、数少ない任務の中で最終的には上弦の弐に成り上がっているんですよね。

 

そこから考えると、戦闘においては相当な才能があり、やり方によっては上弦の壱すら凌いだのではないか、という見方もできます。

 

鬼が亡くなるときには大抵は、その鬼が人間であったときの温かな感情などが蘇り、描かれるのですが、童磨(どうま)は唯一そういった部分もない最後でした。

ある意味では、とても不幸でかわいそうな存在であるとも言えますね(>_<)

 

鬼も色々と人生があった中で、童磨(どうま)も壮絶な生き方をしていたんだね…。

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【鬼滅の刃】童磨(どうま)のその後ネタバレ考察や見どころ感想

 

童磨(どうま)は、血鬼術として氷を駆使した攻撃を展開します。

本人が攻撃しなくとも、ダミーのような氷の像を出現させ、自分の代わりに攻撃させることができたり、その強さが本人並みであったりと、上弦の弐の鬼として相応しい強力な攻撃力を備えていたのではないかと思います。

 

戦いの中で相手の技を出し尽くさせて深く洞察して、最適な始末の仕方で始末する童磨(どうま)。

ある意味ではターミネーターのような面もあったでしょう。

 

胡蝶しのぶが鬼が嫌がる毒を体に濃縮させていなければ、場合によっては数名の柱を童磨(どうま)が始末出来ていたのではないかとも考えられます。

 

しかしながら、個人的な見解としては感情が欠落して一面的な精神しか持ち合わせていなかった、持つことができなかった童磨(どうま)の「氷のような心や精神、氷のように冷たい不幸な人生」を童磨自らの血鬼術が表していたのではないかと思います。

 

童磨(どうま)が最後にはなった霧氷・睡蓮菩薩(むひょう・すいれんぼさつ)という大技すら、本来は菩薩に救って欲しい存在、菩薩にすら救われなかった哀れさ、が込められたのではないかと感じるほどです。

 

人を救う万世極楽教の「神の子」が、最も救われるべき存在で最も救われなかった存在とは、なんとも皮肉な話ですね…。

 

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まとめ

以上、鬼滅の刃の童磨(どうま)のラスト結末の最後までをネタバレ考察でまとめてお伝えしました!

 

童磨(どうま)に関してをまとめるとこちら▽

  • 童磨は上弦の弐の鬼であり、感情の欠落があり他人の苦しみや欲望を軽蔑していた。
  • 父と母の死に対して感情を示さず、興味も持たなかった。
  • 童磨は鬼舞辻無惨を崇拝し、鬼となることを選ぶ。
  • 鬼舞辻無惨や他の鬼から嫌われる存在であり、欲求や感情が欠如しているため鬼としての成長に制約があった。
  • 活動を続けながら苦しむ人々を観察し、女性を始末して食べていた。
  • 最終的に童磨は始末され、死の間際にはしのぶに愛情を伝えるが受け入れられない。
  • 童磨の最後は温かな感情もなく、孤独で不幸なものとなった。

 

 

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